東京都現代美術館の坂本龍一、パート2。霧と不確実性

解説には、「霧の彫刻」について次のように書かれています。

大阪万博のペプシ館を水による人工の霧で覆った「霧の彫刻」(1970年)で知られ、世界各地で霧のプロジェクトを実施している中谷芙二子とのスペシャル・コラボレーションを展示する。坂本龍一+中谷芙二子+高谷史郎による《LIFE–WELL TOKYO》霧の彫刻 #47662は、美術館屋外のサンクンガーデンに設置され、霧と光と音が一体となり、自然への敬愛や畏怖の念を想起させるような夢幻のシンフォニーを奏でる。

この作品は、さまざまな理由で私に強い印象を残しました。まず、人工の霧と、その霧の隙間から届く太陽の光が、本当に印象的な美しさを生み出していました。霧と太陽は、2つの相反する要素です。これらを一緒に見るなんて、稲光と雷鳴が一度に起きたような衝撃でした。

今年はニューヨークでオペラ歌手と共演する予定なので、この作品を鑑賞しながら、ヴェルディの「マクベス」から今取り組んでいる「空が急に翳ったように(Come dal ciel precipita」というアリアについて考えずにはいられませんでした。このアリアでは、バンクォーと息子のフリーアンスが夜のスコットランドの荒野で、深い霧の中にいます。すべてがミステリアスであるだけでなく、はっきり見えるものが何もないような、不確実な場面です。ですから音楽でも、人々が実際の濃霧の中でそうなるように、次の一歩を踏み出すのをためらう様が表現されています。このアリアでは、音楽がその場面の緊張感を高めるために使われ、実際に深い霧の中を探るように、時間をかけて見なければならない様子を表現しているのがよく分かります。今回この「霧の彫刻」を見て考え、感じたことは、ピアノでこのアリアをどう解釈し表現するかを決めるのに大いに役立ちました。歌手とのリハーサルが始まるのが待ちきれません!

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